自分が人前にでて何かを表現することをやり続けているのは、何の影響かさかのぼってみようと思う。
俺が母親のお腹の中にいた時、産休中だった母親がアントニオ猪木の試合にはまっていて良く見ていたらしい。(坂口征二のファンでもあった)俺が2,3歳ぐらいの時母親がテレビ見ながら興奮していて、猪木が悪役のタイガージェットシンにいつもやられている反則をやり返したら反則負けになってしまい、その試合に夢中になり、俺を風呂に入れるのを忘れておばあちゃんに怒られていた。
それが俺の生まれて初めての出来事として自分の記憶に残っている(大人になった俺と猪木の因縁についてはちょっと前のNEVER LOSEファンなら誰でも知っているだろう)。
そのころ俺の近所では小学生ぐらいまで地元静岡市が生んだスーパーアイドル、ピンクレディーが子供達の間で絶体的なものとしてあって、ケイのお母さんが近くに住んでたみたいで、本人が来るんじゃないかと幼馴染みが騒いでいたし、ケイが買いものに来た店のおばさんも、知り合いらしくお土産にもらったお菓子をみんなに見せていた。
でも俺はあこがれなかった。
自分でテレビを見れるようになってからも金曜8時は石原裕次郎の『太陽にほえろ』でも『金八先生』でもなく『ワールドプロレスリング』だった 。
まわりの人が ベストテン見て西城秀樹や沢田研二で歌ったり踊ったりしていたが、それよりも、ものごころついた時に見た血だらけで戦う猪木から始まり、ずっと俺のヒーローだった。
普通はプロ野球の王貞治とか掛布にあこがれて町内会のソフトボールに夢中になるのに俺はそれほど好きではなかった。
そんな小学生時代を過ごし、プロレスラーになりたくて中学も柔道部に入った。
そんな筋がね入りの猪木信者の俺が、中学に入ってからすさまじく変わって行った。 続く