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何があっても忘れえぬ人達PART2

あなんじゅぱすは写真のような感じで当日やるみたいです 。詳しくはウチとリンクしているHPで。

前回書いた2004年秋、俺の難聴による無期限活動停止中の話。


実は静岡県の東部にある田方郡伊豆長岡町にある温泉街の「弘法の湯」という湯治場に何日もいたんだ。
(ガキアミでした)


一人で湯につかったり、岩盤浴をしていたり、何日も療養していだがいつ治るともわからない闘病中のある日。

沼津から伊豆長岡まで、ここでもおなじみのマブダチ遠藤貴志(GOOFY’SHOLHDAY)が単身激励に訪ねて来てくれたんだ。

そして沼津へ行き、遠藤行きつけの定食屋に連れていってもらい伝説のCセット を食べた。


定食屋のかなりのインパクと遠方より来た友の熱い友情がしみるように嬉しかった。


その後遠藤のサポートは続き、


2005年4月25日
NEVER LOSEの復活の舞台となった下北沢CLUB251でのイベントの企画者のすーさん (当時遠藤のバンドのメンバーだった)と繋げてくれて復帰の舞台を整えてくれた。

その前後、静岡に戻り2004年の年末近くの時期だったか、もう実家で静かに療養しながら暮らしてい時、近所のビデオ屋かパワーホールに行く時だったか、


突然久しぶりの着信!

なんと親友の矢吹孝之(ヤブキタカユキ)から
だった。


そして矢吹家の家の電話にかけなおして くれ、って言われてかけたらスピーカー機能で複数の人と一度に話せるようになっており、声が優ちゃん、護、ノゾ、ユキカズ達だった。


一人一人と話しみんなから「身体なおして戻って来てよ!みんなで待ってるから!」って励ましてくれて、

護とマサと、ケンが独立し、今度anglasad
って洋服のブランドを中目黒に立ち上げる事になり、プロモーションのショートムービーを作るから谷本進に主演で出てくれませんかという
話しで、ヤブキタカユキが監督と音楽を担当。友人でその筋では有名な横山大平君がカメラ撮影をするというモノだった


22004年の前半から005年の初めにかけて、
仲間たちが用意してくれた、これ以上ない復活のお膳立てだった。


恩人であるPOUNDROCKのAKIRAにも、
言葉に出きない程、簡単には表せ無いぐらいの、勇気を与えてもらっていた。


その前だが、当時沖縄県の名護市にスタジオを一からセメントなど手作りで3年かけて作り、移り住んでいた兄弟分であるハイスタンダードの難波章浩君が連絡をくれ、しばらく沖縄にいて治せと沖縄の家に泊めてもらったり、いい出会い
や人生観を変えられる出来事も経験させてもらった。


その後岡山でKAZNOSTICFRONT(神闘歌)が迎えてくれPEPPERLANDオーナー能勢伊勢男に岡山のスピリチャアルミステリースポットに車で連れて行っていただいた。

ここに出てきた個人的な付き合いで繋がっている友人 達と、療養期間から4.5年たっても今現在でも繋がっているのはうなづけるだろう。


そしてこの1.2年の新しい出会で 一緒に作品作ったり公演やイベントやったり同じ時間を過ごしたりしている人ともずっとずっと付き合って行きたいと思っています。


もう泣かないで♪

俺が♪
そばにいるから♪


チェンバロ

「陽はまたのぼる」

作詞
矢吹孝之

より

みんないつもありがとう!!


孤立無援ではあったが、受けた愛や信義を知って変わってきたんだな。

だが普段は群れない、飢えた一匹狼なんだけどね。



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2009年03月11日 04:52に投稿されたエントリーのページです。

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