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名古屋へ(今までを振り返り)

今回は名古屋にも行きます。


なぜかというと、盟友(ソロの相方)である名古屋の刈馬カオス君が 新しいユニット(劇団?)を立ち上げて 新作を書いているというではないか!

「今回の旅で名古屋に行くよ」と告げたら、「 みんなにも声をかけておきますよ 」と今一緒にやっている人達や俺に縁のある人達に集合をかけてくれる。


俺は「カオス君やみなさんに無理のない範囲で」と答えたが、その気持ちだけで十分である。

とにかくカオス君は昨年から再起動しているが、劇場での本格復帰での新作は俺が最も待ち望んで いた事だ。

今新作を書いているみたいで、それを聞いた時嬉しくて泣きそうになった。


自分はソロで5月にカオス君の新団体と愛知県芸術劇場のフェスティバルで一緒にやるが、
想いは一つ。


刈馬カオスを男にする事です。


日本全国の名の知れた劇団や演劇人とかも出るみたいだが、あんまり
そんな目先の事に興味は無い。

思えば、ウチとTTPと合同で全勢力を注ぎ込んだ名古屋公演のあと、東京芸術劇場を進出する目前でカオス君主宰のメカトン・ロマンチッカーがいろんな事情により活動停止になった。

単独でやらざろう得なかった自分達も忘れる事は出来ない。


だが続行か中止か を話し合った最後の会議の時、東京芸術劇場の前で見たカオス君の無念の涙だけは 忘れたくても忘れられない。

廃校/366.0公演が終わり筋も通せたから、俺達が以前から約束していた熱田神宮へはその前に連れていってもらったが、聖地ナゴヤドームの中日戦の応援(東海地方出身なんで子供の頃 からプロ野球は中日ドラゴンズのファン)を果たすべく2007年9月ぐらいに名古屋へ行った。

ドームの雰囲気も良かったし中日が優勝争いをしていてカオス君と一緒にメガホンを持って応援したりあの時は本当に楽しかった。


俺は出演依頼を受け自分の意志で公演に参加する場合、横浜のスタジオソルトさんの時にもそうだけど一回限りの付き合いなら参加しませんという。


この人達となら末永く一緒に付き合っていけるという事が 前提である。


横浜のみなさんは約束を守り今も交流しているが、去年は稽古後の食事や飲みや語らいがあった(作品も大好評で良かった )。


名古屋のカオス君とも稽古や現場だけの関係は嫌で、一緒に遊び回りたかった。

それからだいたい、西日本に行く時は帰りに名古屋に行って
、中日関係の選手のやっている店やナゴヤ球場で新人選手の練習を見に行ったり日本の歴史が好きだから太閤神社や郷土資料館に行ったり
、世界の山ちゃんなどに飲みに行ったりで、
劇団の関係を飛び越えた付き合いが出来てとても仲良くなれたのが嬉しかった。

それから、一人旅、
山に篭っての修行をへていよいよ一人で歩き初めようと思って脳裏に浮かんだのが刈馬カオス君であった。

本人や名古屋のみなさんの前では、恥ずかしくていきなり何で一緒にやったのか あの時は言えなかったが、


仲間ならあの涙を見て、ほって置けないのが当たり前である。


俺は計算が出来ないが、カオス君の筆の力がどうとか、なんとかの戯曲賞の佳作まで行ったなんてその時は計算に入っていなかった。
(もちろん実際にも偉大な劇作家であり演出家で
あるけど)


名前や実力をあてにするより、
自分の強い想いが鹿児島空港から中部国際空港(セントレア)への奇跡のフライトに繋がった。

でも今やっている事も偶然が重なり必然になるものである 。


その後名古屋で岡山や沼津での本番に行く前、ソロの稽古を名古屋市内で何度かやるようになり、その時に見学や手伝いやその後の飲み会に来てくれたイチマル君達とカオス君が一緒にやっていると聞いてなお嬉しかった。


前おきが長くなったけど、とにかく地獄からはい上がってきたんである。

俺もカオス君も廃校プロジェクトが終わった当時、名古屋で一緒に遊んでいた時には、お互い劇団の主宰である事も忘れ、次の予定すらも立てられない
マイナスの状態だった。

一緒に名古屋の千種文化小劇場でやってから二年。

先日高橋尚子選手が走っていた名古屋国際女子マラソン の時期と被っていたから、あの日を忘れにくい。


自分にもっとも縁の深い、
MAMORU
SHIMIZU
anglasadの
スーツを着て、取材を受けに中日新聞社やナイガイタイムスやその他の施設に行った事も覚えているし、

オーダーメイドで護に作ってもらったスーツ上下で片山やカオス君や矢野君やジャコウさんや名古屋を拠点に活動されている演劇人の方と終演後のアフタートークをしたのも覚えている。

(意外にも自分はスーツを着こなせるんですよ。)

あと数時間後に広島に着く、各地で仲間が迎えてくれる
のは非常に嬉しい事だ。


KAZ達とは堅気になっても遊んだり共に歩むし、カオス君 ともずっと一緒に中日の応援を続けるだろう。

昨年の8月に沼津WAVEで遠藤のやっているKAKAとあなんじゅぱすと俺のソロをやって、演出のカオス君も応援に名古屋から沼津に来てくれて、遠藤が行きつけの沼津港で新鮮な海産物を食べれる「丸天」にみんなを連れて行ってくれた時、その近くにタモリ(森田和義)さんがいて、回りは実物は小さいとか騒いでいた。(タモリさんが深い交流を続けていた赤塚富士夫さんが亡くなった次の日で元気がなかった、それなら意気消沈するだろう)

タモリさんが生前お世話になった赤塚さんに、告別式でお別れの言葉を言った際 「あなたと僕は肉親以上の関係だったから、一度もありがとうとはあえて言わなかったし、あなたもそれをわかっていた 、最後に赤塚先生ありがとうございました。合掌」

あらかじめ言葉を書いてきたわけでなく白紙状態で、7.8分以上アドリブであんなたくさんの言葉をしっかり言えたのにも驚いたが、


お礼の言葉も言わなくて済む肉親以上の関係というのが、羨ましかった。

自分はそんな関係を人と結べるように、これからも生きて行きたいと思った。

他人行儀でない間柄っていいな!!


いつもの仲間でも
これから出来るかわからない恋人でも、そんな関係を目指したい。

人との深い関係があってこその人生であり、


それを基により良い作品も作れるし、ライブや公演も出来る 。

そんな風に最近感じています。

借りは出来るだけ返したつもりです。

まだ必要な人がいたら、直接俺から取りに来てください。


もうすぐ京都だが、広島はまだまだ先で、岡山からもさらに一時間以上かかる。


広島.山口.福岡から沖縄。

これってかなり遠い距離だが、俺はいずれ慣れてくるだろう。


人との繋がりや付き合いは一生だって思っています。

縁が出来た事は素晴らしい事。

どこの誰であっても
、1番嬉しい事。


博多行きに乗ったので、そのまま行けば
いよいよ広島に.


今回は広島経由で名古屋へ行きます。
(岡山は来週までとっておきたいですが…)

いつも一人で行っているので、
いつか誰かを連れて岡山や広島に行きたいと思っています。

この旅を好機に気持ちの整理がついてきました。

ここまで読んでいただきありがとうございました。


2009(平成21)年3月14日.


谷本進


SUSUMU
TANIMOTO

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2009年03月15日 18:39に投稿されたエントリーのページです。

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