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2009年11月 アーカイブ

2009年11月04日

新たな次元に行くまで、あと1ステージ

最終日の11月7日はチケットがソールドアウトなりました。

今年の4月にやった公演も最終日がソールドアウトになったし、大きい会場ではないが続くと嬉しいね。

初日から今日まで5日間、忙しい中かけつけてくれたみんな本当にありがとう!

俺の再出発の舞台を見届ける為に、沼津から来てくれた兄弟分の遠藤貴志達を始め、三島からも強力なサポーター達が中野まで馳せ参じてやってきてくれ、
東京や埼玉から普段演劇を見ない俺の仲間達や昔から一緒にやってきた同志や兄弟分や後輩達や、
初めてくるのに大勢
で来てくれた人達や、
そして毎回見に来てくれたり、時には支えてくれている人達が、


俺が再びはい上がって公演に出演するって言うんで、自分の用事をを後回しにしても急な連絡ながら、寒さの強くなった関東各地から一斉に会場にかけつけてくれた。


なんと、今日までの公演全体の動員数の半分以上か、それよりももっと多くの人達が進サポーターだったから、会場の客席をほとんど進サポーターでうめつくしてしまった回も多い。
(みんなの気持ちに感謝します。
また気持ちで返しますよ。)

そして岡山の兄弟分である神闘歌
のカズノスティクフロントから、「僕らがついていますから」
と、本番直前に電話で心強い激励を受けた。


他にも応援していますからって、何人もの人からエールを受けた。

そして7日の最終日は完売したみたい。


SUSUMU
TANIMOTOでの演劇公演出演は初めてだったんだよ。
(イベントのチラシにも新しい名前で書いてあったけど、演劇界の人は初めてみたから、俺って気付く人がほとんどいなかったと思う。)

まさにチケットが本番当日まで、前売りが数枚しか売れてなくて、名前変えた影響が出てしまった。


(どこまで主催者が宣伝したか?共演者やスタッフが何枚手売りで売ったかわからないけど?
でも同じ大学の学友は結構来ていたみたいだな)

今回の中野での公演の準備は夏の前に始まり、まさに大学の学内選抜の地区予選からはい上がって、
何とか決勝進出まで出来た。

去年の始めから始まった自力のソロ活動も5月の名古屋芸術劇場で一回燃え尽きた。


今年の夏のソロツアーから完全に名前をSUSUMUTANIMOTOにして初めて、ソロで全国各地のいくつものライブイベントに出て、かなり打ちのめされながらも、ようやくここまで来たな。

また今回のイベントの主催者やスタッフさん達に自分を紹介される時、「フリーのススムタニモトさんです。」
って言われるから、最初は前と比べて寂しさはあったが、挨拶でも今までやってきた事を誰にも話さなかったし、自分の事は一切話さ無かった。


なので、新鮮な対応が嬉しく感じた。


だからそういうお客さんや関係者と会うのも、 勉強になったし、かなりそっちの方向に合わせようと努力した。

実際見てくた人達は、どう感じたかわからないけど、毎回追い込れながらの逆転につぐ逆転勝利だった、4ステージ中にいくつも新しくて昔の実力以上のモノを出せた。

初めてで不慣れでアウェーな環境でも、ほとんど一本勝ちか大差の判定勝ちで一回戦、二回戦、準々決勝と勝ち、やっとこさ準決勝を突破出来たという様に俺は感じた。

明日と明々後日、やれる所まで全体練習をして、7日の最後の舞台に向かう。

自分の成長も大事な事だったが、最後まで肝心なのは相手役も光らせて、チームワークを第一に、全員で作った作品の質も完成度も、あと二日ある全体練習でもっと仕上げて、最終日に向かいたい。


俳優人生を0からやり直して、どん底の状態から全てを捨てて自力で、決勝まではい上がった俺が最後のステージに向かいます。

カッコ良くぶっちぎって行きますよ。

2009年11月07日

男の散り際

最終日は今までの集大成にふさわしいモノを見せます。


もうチケットは完売していますが、もし当日キャンセルが出たら、今まで受けた予約順にこちらから連絡します。

その節はお願いします。


一応、劇場的な場所で複数の人とやる演劇(対話劇)は、明日で集大成を見せて、一旦区切りを付けて自分の中で最後のつもりでやります。

最後の力を振り絞って、どんな状況でも、どんな相手とでも、どんな環境でも、どんな観客の前でも、今まで以上の自分を出して終わりたい。


俺が俺であるために、最後まで戦う。


最後まで上杉謙信ばりの「第一義」の精神を 、貫く。


この一年、気持ちでしか動かないと決めて、最後まで軸がぶれずに生きてきた。


気持ちで動け無いお誘いは、いくつか断らせていただいた。


とにかく、俺に助けを求めてくれた人達の気持ちに、協力出来る範囲なら誰でも全て答えて来た。


未熟さを感じながらも、結果はほとんど出せたはず。


あと2回。

対話劇は明日で最後。
(残りは、生まれ故郷でのソロのみ。)

何が何でも最高のコンディションと余念の無い準備をして、最高の舞台にします。
伝えたい気持ちも情熱も情念も、余す所無く出し切ります。


今後の事は、終わってゆっくり考えます。


とにかく生まれ変わったSUSUMU TANIMO渾身の前進を見て下さい。

たった一人の戦いを全うします。


素浪人であり。


野良犬であり。


一匹狼であり。


窮鼠猫を噛んでやりますよ。


明日は来てくれた観客全員に向けてやります。


2009年11月09日

会いたいよ♪会いたいね♪

(写真は、この公演がきっかけで、先週中野で「めぐり」がやれた公演のチラシ)


昨日で中野での全ての公演が終わりました。

ソロ活動始めて、改定版を入れると、

「36」
「SOMEDAY」「まぐろ11号」
「36改定版」
「BUGAi ーx」「夜ばかり満ている」
「ソロ.厳状打破」 「家族アート」
「37」
「ソロ.WASABIAN」
「ソロ.PEPPERLAND BIRTHDAYLIVE」
「ソロ.厳状打破野外」
「めぐり」


この一年9ヶ月の短い間に、長編6作品.短編7作品.よく作ったよ。

なんと日本全国33ヵ所.60ステージ以上をやった。

誰もやらない事やったよ。


みんなみんないい思い出になったよ。


(1988年から2009年
まで21年間表現者として人生を過ごしてきた)


数え切れない程、本番やったな。
軽く500回は超えているよ。


あと一回で、一区切りだな。


最後はそれにふさわしい、イベントだ。


まるで、今まであった全ての事が夢であったように、15歳の時地元でバンド始めた時に、手の届かなかった地元の先輩の企画に、やっと出れる。しかも場所もその当時にあった浜松のライブハウス。

昔と何も変わらず、10代の時の気持ちのままライブしに浜松に行くだけ。


もっと言うと、12月26日に浜松でライブをやる。
それだけ。


現在も過去にとらわれるわけでもなく、むしろあの時のままというより、他に何の理屈が必要なんだって事かな。

見に来てくれる人達は、地元で昔から知っている人や、その後輩がほとんど。


みんな20年ぐらいずっと同じ場所や状況で、生活しながら活動してきた。
そこに俺もいた。

俺は当たり前の様に、この浜松でのイベントにおのれの存在の全てをかけてやるだけだ。
そう!他の出演者と同じようにね。


イベント名
[SMASHER ATTACK]

2009,12,26,sat

場所
「浜松メスカリンドライブ」


:KAT UGLY (浜松)
:902 (掛川)
:ORdER (豊田)
:SO-WHAT (清水)
:谷本進 (静岡)
:WAR HEAD (京都)
:VEKTOR(磐田)
:Shady Glimpse (浜松)
:PILE DRIVER(横浜)
:ZONE(磐田)

DJ:KATSU HENDRIX,フカイ,KENGOi!

チケット
[ADV\2000][DAY\2500]

開始時間
[OPEN17:30][START18:00]


何と発表されたラインナップは、当日の出演順だと思うからかなり気合い入るね。


俺の出番の前にやるのSO WHATは、俺が付け人をしていた人達で師匠や先輩というより生みの親だ。
最近また精力的な活動をし始めた所で、ライブは圧巻で洪水の様に、人が入り乱れる。
静岡ハードコア代表

俺の後は、最近日本のハードコアシーンで、 最もヤバイライブをするのは誰か?と日本全国回って、大阪や岡山の同業者やトンガッテいる奴らとかから名前が1番出ていたたのが、京都のWAR HEAD。


俺の後に出演する。

その日出る人は若手もベテランもみんな半端ないけど、磐田と浜松の先輩のこのイベントに賭ける意気込みと地元あげての準備の様子を見ると、ここで死に物狂いにやって、名(男)を上げてみたいと思った。


以前ソロで、NUMBやMASTER PEACEやIDOL PUNCHなど海外でもやるような全国区のハードコアの強者ともやったけど、今回の方がもっと重厚で危険な緊張感があるね。

自分にとってこれ以上無い、強者に挟まれたのは運命だね。

今年一年、沼津や岡山や倉敷や大阪や広島や島根のメンツとやって揉まれてついた地力もあるし、東京の劇場で演劇作品を4月と10月と11月に二本作り、名古屋の芸術劇場の演劇フェスティバルでソロをやったし、下北沢や渋谷でも実験的なライブがやれた。


今年一年の支えてくれたみんなの想いも胸に刻み、浜松へ行きます。


自分の古くからの同級生のマイメン(マブダチ)のここ最近の試合の頑張りにも勇気をもらった、
一昨年の後楽園、
去年岡山、今年は広島、有明と JCBホールと素晴らしい試合をしてくれた総合格闘家の藤井勝久選手に感謝をしたい。


藤井君は俺が昨日までやっていた中野での公演「めぐり」の最終日に、試合の直後にもかかわらずかけつけて見に来てくれた。

あ、藤井君帰り際にヤブキタカユキの家に近いうちに一緒に遊びに
行こうと言っていたな。


あと、古くからの友人であり、先輩として尊敬し何でも話せる相談相手にもなってくれる。
↓↓
ひらたよーこさんです(青年団/あなんじゅぱす)(旦那様は平田オリザさんです)今年は何度もアクシデントに見舞われながらも、ステージに立つ姿で俺を勇気づけてくれた。

もちろん昨日中野の公演の最終日を観にかけつけてくれた。

今年年末はよーこさんの
やっている、「あなんじゅぱす」コンサートが12月17日にある。
本人からも頼まれているし、俺はスタッフとして全面サポートをしたい。

あと一人、こいつも昔からの同志で、今や大きいイベントでDJやったり、本業の洋服のデザインや会社の経営などで多忙の清水護(MAMORSHIMIZUanglasad)も中野の公演に
かけつけてくれた。
ずっと舞台を見てくれているし、変わらぬ関係が嬉しい。
また中目黒の店に行こう。


あとは今まで忙しくて、ゆっくり合ったりしゃべったり出来なかったいろんな人と出来るだけ、たくさん時間作って会いたい。


いろいろ話しを聞きたい。

好きな仲間がいる仙台にもまた行きたい!!


今月は22日に一日だけ沼津で、盟友グーフィーズホリディが復活し、ビートクルセーダーズとやるかし、沼津のみんなと旧交を温めながらグーフィ遠藤貴志のプレイを見に行きたい。

来月12日は、神闘歌のKAZNOSTIC FRONTと大阪城ホールに「矢沢永吉」のライブを見に行く。
なんと伝説のE.YAZAWAである。

大阪行ったら、大阪の同志にもたくさん会いたい。


マイメンのSHOOT‐MINDの周りのスケーターや格好いバンドマンやラッパーとかCMKのグラフィティライター達ともまた合って、楽ししい夜をまた過ごしたい。


今年の最後は、今後の人生の準備をつつ、向かう方法が新たに決まりそうだ。


俺は、もっと凄い事やれるように謙虚に努力を積み重ねて行きたい。

あと、俺は自分では体力も気持ちも落ちていないし、おっさんになったという意識がないから、(気持ちは20歳だし)、冗談でもおやじって言ったらボコボコにするからな(笑)。


ホントに若い奴に言われるとカチンと来ます。
今回の公演の稽古や公演期間中に、親しみこもっていたかもしれないけど、言われてかなり頭に来た。

今日ハリウッド映画の「ラストサムライ」を見たら、感動と共におのれの未熟さに気が付いた。
もっとスケールの大きい環境に入って成長みるのもいいと思った。


もう一つ、TVドラマ「北の国 から」の有名なセリフの
「子供がまだ(ラーメン)食べている途中でしょうが!!!」

は、実は高度な技術で田中邦衛さんが言っているから、素人じゃ絶対真似出来ない事がわかった。


出来ても声真似で、一連の芝居は、彼しか出来ない程に高度な演技力が必要だ。


役者の端くれの、俺が分析した結果そうなった。
もちろん難しくて出来なかった。


他の所はいくつか出来たが、あの場面は難しい。



2009年11月14日

予告の通り

先週の公演で、燃え尽きました。


自分は、気分によって調子のいい事ばかり言えないので、予告通り最後は出し尽くせました。

今回は思い残す事無く終われました。


これで関東での活動は一区切りです。

残りは静岡県の浜松市でのライブ出演のみ.(ソロパフォーマンス)

みんな、何やっても いいんだから…

道を選ぶのは自分だ。


博打と同じかもしれないが、どっちに賭けて行った方がいいか?


迷いながらも飛び込むのは自分の意志だ。

だが自分の欲望の為に人を巻き込み、用が終われば、後は無関係もいいか…


頼む時だけ頼んで、
頭下げて…


嫌な思いや疑問を持つ人の気持ちを気にするより、結構強引にやりきった方が、その人達にはいいかもね。

協力したり貢献したり、急な無理を聞いてくれた人に、その後何かで礼は尽くしたか?
その傷を癒してあげれるのか?


せいぜい後ろ指さされたり、悪い噂や陰口や失笑ばかりされたり、知り合いがどんどん周りから離れて行って、関わりたく無いって人が増えるのもいいが………

みんな急速にいろんな企画を立てて、人を取り込んで、ホントにあちこちでいろんなイベントや公演がある。


何でもやってみる事に意義があると思うが、人の繋がりや信頼関係や絆が だんだん薄くなっていくのを感じる。

確かに損得勘定や計算的な上での人間関係が当たり前だし、
そういう人なら友達や仲間がだんだん減って行くのは、さほど珍しい事ではない。
(相互理解や、もちつもたれつの関係もあるらしいね)

だが、毎回そういう事を経験すると何かやり場のない、強い怒りや悲しみを俺は感じるね。

これからもまだあるだろうな。

自分達だけが、いい思いすれば他の人はどうでもいいのか?

普段はこんな負の感情は出ないが、ここ半年前からいくつか重ってくるとさすがに堪えるね。

(あんまり負の感情ばかり人に向けたくないはずだけど)


この話しは
続く……

実は、修正したり続きを書いたがミスで全て消してしまった。
(ちょつとだけ続きを書きます。)

自分が成り立たなくなるようなら、やらなければならない事がある。

そうじゃないと俺が俺でいられなくなる。


たった一人になっても俺は戦う。


生きるとは?


生きているとは?


すなわち……………

2009年11月17日

祖父一周忌と訃報(ツルさんありがとうございます)

私の祖父、谷本淑二(享年96歳)

が逝去して今日で11月16日で、一周忌になりました。

一年前祖父の訃報を(岡山市にいて)吉備線の車内で母からの連絡で聞きました。
(その晩、カズとマユちゃんがそばにいてくれて一緒に酒を飲んでくれました。
その後ブルーノ作品の「夜ばかり満ている」の稽古にも顔を出しました。)


自分の携帯電話の待受画面は今でも祖父です。


親戚のおじさん曰く「清廉潔白」の人でした。

(孫である自分にはその遺伝子があります)


自分は近すぎてわからなかったが、厳格
な人でした。


島田市(町)の役所勤めをしていました。

教育者でもありました。

自分が大学へ行かず役者になると告げた時、ものすごく怒られたのは進学すると期待させた祖父に嘘をついた事だったと思う。


(勘当するくらい言われたが、孫の将来を憂う愛のある叱責でした)


祖父は何とか号を与えられる程の凄い書道家だったみたいです。


しかし後年は自分の書いた書道の作品を人に見せなかったみたいです。


おじさん曰く、新築した家の表札を祖父に書いてもらおうと考えたけど、文字が
凄すぎて表札の字向きでは無いので、他の人に頼んだみたいです。


自分が生まれる前に亡くなった祖母谷本善(享年56歳)は歌が上手くて有名だったみたいです。


祖父は凛とした雰囲気を漂わせた明治生まれの、気骨のある人でした。


従兄弟の谷本良太いわく、子供の頃からやっていたテニスで高校の時、静岡県大会で優勝した時に祖父は泣いて喜んでいたそうです。


(そういえば先日親戚のサキちゃんが結婚したんだよな、おじいちゃんサキちゃんを可愛がっていたから喜んでいるだろうな)


祖父は生まれる育った静岡県の島田市の大井川沿いの山奥(大川)から、藤枝市まで買い物に行くのに山二つ越えて行ったそうです。


徴兵されて戦争の為に中国へいったけど(静岡で34普通科連隊に所属)、帰ってから一度も戦争の話しはしなかったそうです。


終戦記念日を俺は認めないと言っていたそうです。
(何を認めないかはわからないですが…)

私が、以前正月に祖父の所へ新年の挨拶に行った時、記念に一緒に写真 を撮ろうってなった時「おぉ!俳優と一緒にか!」って言ってくれて
嬉しかったのを覚えています。


口数の少ない祖父の
言葉は忘れられないです。


一周忌法要へは、都合により行けなかったけど、祖父から学んだ事や受け継いだモノはしっかり後世に伝えていきます。
と今日心に誓いました。

先週11月9日に静岡県富士市 にある(ライブハウスアニマルハウス)のオーナーであるツルさんがお亡くなりになった。


改めてご冥福をお祈りいたします。


ツルさんは、アニマルハウスの前のユニセックスの頃から20年以上に渡りブッキングや店を切り盛りしていた人で、先人であり静岡県の音楽シーンに多大な貢献をした人です。


弱い者の味方でした。


高校一年になったばかりの時、中学の同級生の中西と村田から富士のライブハウスに行って隠れて録音してきたバンドなんだけど聞いてみるか?


って、まだデビューしたばかりのジュンスカイウォーカーズを教えてもらったのを覚えている。


コンサートじゃなくて、生のライブってこういうのなんだって思った。

(当時はテープレコーダーだった)


今とは何百分の1にもならないぐらい、伝わる情報が限られていた時代でした。


だから、同級生や自分自身でも自分の耳と目と足で面白いモノを捜してきていた。


それからバンドをやるわけだが、ツルさんがジュンスカを富士市に呼ばなければ
、もっと違った人生だったかもしれない。

それからいろんな曲面でアニマルハウスには、何度も行った。


6年前に、新年会的な打ち上げに出た夜の事を今でもよく覚えている。
引きこもりだった時だから、余計にあの雰囲気に癒されたり、勇気をいただいた。(凄く楽しい夜だった)


客より盛り上がってアンコールをしていた姿を思い出す。


それから地元の先輩の秋山さんが、まだNEVERLOSEを旗揚げしたばかりの俺をツルさんの所に連れていき、「こいつ演劇やってて劇団もってるんですよ」って紹介してくれて、ツルさんも「俺も前に演劇やってたんだよ」

って話してくれたのを覚えている。


まだ10年前だったから、まさか今月一杯で閉店するなんて思わず、今の俺も想像出来なかったから、間に合わなかったけど、


いつかあの濃い環境で俺もやってみたかった。

先日中野で公演した時に沼津から遠藤貴志が来てくれて、ツルさんの話しをしてくれて、この道の地元の先輩であり恩を受けた人に対してヤツがどういう想いで いるのかわかり、俺も 胸に迫るモノがあった。


都会ではない沼津市の港町から全国区になった苦労人の彼らだから、バンド始めた頃は静岡県の東部の音楽シーンを盛り上げようとしていたツルさんに凄くお世話になったんだと思う。

俺達の時代ぐらいまでは情報も無く、見えている世界が中学の学区から市内の街しかなく 、街で有名になるとか名が売れるしか範囲がなく、中学、高校の時もヒーローや憧れるのは地元の先輩で、目指すのは先輩と肩を並べれるかどうかだった。

自分の話しになるが、年末26日に静岡県の浜松市内でソロをやるが、一緒にやるメンツもツルさんにお世話になった人達ばかりで、いわば追悼も兼ねてやりたいと思う。


(ツルさんのやっていたアニマルハウスは人生の生き場を失った人達の学校や居場所だった。)


でも必ず意志を受け継いだ人達が、また
静岡を盛り返して行くと思う。

何度もいうが、今度浜松でやる先輩達は ヒーローで、一緒にやれるなんて夢であった人達だ。


(アウトローのエリートである静岡ハードコアの中でも、俺は名もぎりぎりあるか無いかの1番の下っぱだったし)


今、世界的なバンドになったenvyの前身バンドであり、その下地を作ったBLIND JUSTICEのリーダー的な存在でドラムを叩いていた沼津市出身のノブがenvyになる前に脱退して、雷矢というスキンズねバンドに入り新宿ロフトで、今度 俺がやるSO WHATと一緒にやった時、バンドやってて良かったって凄く喜んでいたのを覚えている。


今回俺も想像したら興奮して寝れないぐらいだ。


NEVER LOSEでFAKEっていう、ターニングポイントになった作品をやった時、地元の先輩 で憧れの人であるZONEのサワさんが偶然予定が合い見に来てくれて、その時当時鉄アレイのベースだったカツタさんを連れて来てくれて、それから打ち上げに出てくれて、自分の劇団員やお客さんがいる人前だったから、普通に話していたが、あとで一人になり池袋駅に着いたあたりで足腰の力が抜けてしゃがみ込んでしまうぐらい、正直ビビッてしまった。
(横浜、横須賀から浜松に来るPILL´DRIVERなんて雲の上にいる人達でした。
実物を真近で見れるのは幸運なくらい伝説の人達で、自分は本番前にパイルドライバーの曲を聞いて弱い自分に打ち勝ってきました。
同じステージで競い合えるのは身が引き締まる想いです。)


[キャプテン]って漫画の世界みたいだと思った。


「逆に恩返しで、俺がみんなに勇気を与えたいと思っているけど。」

この関係の話しはまた書くとして、今年は親戚の忠にいちゃんがコメント欄で指摘してくれた通り、西武池袋線東長崎駅近くにあった「喫茶グリーン」のマスターが亡くなり(チーズハンバーグ大盛りにやっこです!)が味わえなくなり、川村カオリさん、ツルさんが先週亡くなり、地域やその世界では弱い者の味方で個性的な人間味のあるパイオニアの功績を思うと、俺も人生で何かもう一つ背負って生きて行こうと思う。

そういえば、敬愛する中島みゆきさん、紫綬褒章受賞おめでとうございます。


現実から逃げたい時、不安な時、疲れた時には今でも自分は中島みゆきさんを聴いて寝ています。


自分は心が折れやすくどうしようも無く弱い人間ですが、それでもステージに立てば何でもいいから誰かの役に立てればいいよな、と思いながら、心を折らす手前で踏み止まり、意志を持って道を切り開こうとしています。

そして未来の為に、あきらめず、戦う気持ちを失わず、折れない心を鍛えて、誰もやらない事に挑戦していきます。


最後に、48歳という若さで亡くなってしまった同郷の偉大な先人である、富士ANIMALHOUSEのツルさんの功績に哀悼の意と敬意を表します。


そしておじいちゃん(写真の人)、天国からいつも見守ってくれてありがとう!!


(今日は一周忌、お寺の人達が通夜の時よりもっとしっかりやってくれる事が出来たらいいな)


2009年11月16日。

ススムタニモト


(三枚目の写真は、今年3月岡山CLUBNO.9にて厳状打破のステージ立つ俺。撮影は西日本から全国区へ羽ばたくこれからの活躍が楽しみなアーティストであるmabito君より)




2009年11月18日

俺のルーツと今の気持ち

今日の祖父一周忌のブログ見た身内から幾つか指摘があり、書道家でもあった祖父の事 が少しわかりました。


雅号(作者名)は岳峰(がくほ)という 名前で、作品の下や筆箱に書いてあったみたいです。


(祖父と生前懇意にしていた人からの証言でした)


自分と祖父は61歳離れているぐらいだから、孫の代では誰も作品を書いている姿見た事無いのはわかりますが、自分は書道を人に教えていた
のも知らなかったです。
(本当に自分の事を語らない人でした)

勤め人の傍らに岳峰という名前で、アーティスト活動していた祖父の幻想は広がりました。


それと、祖父が戦時中所属していたのは 静岡の第34歩兵連隊 です。

(普通科連隊はシビリアンコントロールされた戦後での呼称でした)


祖父は家族や孫の代 の自分達の未来の為に、他国から国を守ってくれた人です。


先日中野でやった公演に駆け付けてくれた小中高と一緒だった桜井知巳が、20歳と21歳のグループに一人入ってやっていた自分の事を凄いパワーあるねって驚いていた。


桜井はずっと洋服屋で働いているし、クラブも行くし仲間にDJやMCがいるぐらいで音楽もヒップホップ
からレゲエから最新
のモノも知っている。
同級生の中でもノリや考え方が1番若い。

そんな桜井曰く、「オレが話せても25.6歳くらいの年代で、20歳前後の子っちは何考えているかわからないだよ」

って言っていた。


自分なんか今回は、一切の特別扱い抜きの参加だったから、
グループの一員でみんなと一緒に行動して同じ事やっていて、一つの作品を作るのは、かなり今までと違うパワーが必要だった事は確かだった。


今回の参加者達が所属する中野区江古田にある日本大学芸術学部の教室で、結構みんなと自主稽古していたしね。


ほとんどが日大の大学生3年生で、まさにあの環境で基本からもう一回やり直しだったかな?


でも今まで大学と無縁だった自分が、今年は春から東大や東京芸大や日大芸術学部の校内でインテリやエリートの人達と研究や勉強的な感じでやっていたのは、世間一般では凄い事かもしれなかったかな?。

でも人の素晴らしさは、そういう肩書きや権威だけでは計れないから一概には言えないけど、今の大学生や大学院の苦労や実態や人生を知る事が出来たのは、いろいろ 世の中や社会を知る上で自分にとっても良かった。

4月と10月11月と東京で学生とやった演劇公演は、チケットが完売
したし作品にも大いに貢献出来たから、両方の企画者や参加者にもいい影響もたらせて良かった。


前より自分から一生懸命切符を売ろうとする人少ないし、今本当にどこもお客さん入らないからね。

やっぱり日本全国いろんな場所で、いろんな人とやって来て地力がついたのと、 豊富な実戦経験からどんな 状態からでも立て直して、ある程度の内容は見せられる自信がついてきたのが良かった。

(ソロの自作自演の新作は本当にまだまだ未熟だけどね)


まぁ、学生だからとか若いとか一切偏見持たずに相手も一人のプロのとして見て、一人の人格を尊重して接しながらやり切ったから、次に行けるんだけどね。


とにかく桜井が、褒めてくれたり他にも感想を聞けて課題も出来たし、この一年演劇の公演で自分がやった事が報われた気がした。


もちろん弱ったり悩んだ時、支えてくれたり受け止めてくれた大切な仲間や、自分なんかと一緒にやってくれた全ての人のおかげです。

自分の相手をつとめてくれた人達も本当に辛かったと思います。


最後に前回の訂正です。


前回進の部屋に出てきた新しい登場人物の正しい表記はこれです。
親族(いとこの説明です)


「忠にいちゃん」は従兄。


「サキちゃん」は従妹。


「良太」は従弟。

祖父谷本淑二は「岳峰」という雅号を与えられた、偉大な書道家です。
(今の自分と同じく、作品のファンとか応援してくれる支持者がいたと思うし、若い頃はライブペイントみたいのやっていたのかな?展示会みたいなのもやっていたのかな?)


遺伝子(DNA)って、面白いね。

自分がグラフィティのクリエイターを最も尊敬しているのも、何か因果があるのかもね。

さあて次は来月浜松へ凱旋だ(今回の写真)。

静岡県の浜松市や磐田市は西部地方で昔は(遠州の国)で、(自分は中部地方で駿河の国)
(マイメン遠藤貴志達のいる東部地方は伊豆の国)


[遠州のからっ風]って強く冷たい風が吹く場所柄で、かなり冬場は寒い。
中部の人より西部の方が気性の荒い人が多い。


居酒屋[わたみん家]で浜松市で副店長をやり今静岡市で店長をやっている、同期の五味さん曰く静岡より浜松の方が酒飲んで暴れるが多いらしい。


確かに昔は浜松とか磐田はパンクスが一時期居酒屋で出入り禁止だったし、(高円寺とかも一時期そうだけど)権力にびびらない、気概はあるよね。


とにかく強い遠州のからっ風の影響で、静岡県西部の木や雑木林がみんな斜めに傾いているらしいしね。

上京して俳優になる前のちょうど17年前の年末に、今回やる浜松メスカリンドライブに行った時に、静岡市と体感気温が違いすぎてかなり冷たい記憶がある、東名高速使って浜松にアメ車のバイクで来て先輩が皮パンを二枚履いても冷たい風を防げないって言ってたな。


東部地方は富士山に近づくにつれて寒い。伊豆半島は暖かい。

静岡市は昔自分が冬場を厚手のパーカー の重ね着だけで過ごしたくらい常夏だ。


浜松行きは、まずはからっ風と気性の荒い人対策をしよう。


とにかくこれで終わっても本望なくらいなんで、12月26日に全てを賭けてやります。



2009年11月27日

STARTING OVER

[SMASHER ATTACK] 2009,12,26,sat 浜松メスカリンドライブ

■ACT(BAND)出演順。

:KAT UGLY
:902
:ORdER
:SO-WHAT
:谷本進
:WAR HEAD
:VEKTOR
:Shady Glimpse
:PILE DRIVER
:ZONE


DJ:KATSU HENDRIX,
フカイ,KENGO!,

■OPEN 17:30
■START 18:00
■ADV 2000YEN
■DOOR 2500YEN

料金表示は、全て税込価格です。
ご入場時別途ドリンク代500円が必要です。
ご不明な点は、メールかお電話(053-454-7363)にてお問い合わせ下さい。

★CONTACT★
静岡県浜松市にある、ライブハウス、メスカリンドライブです。
〒430-0927 浜松市中区旭町10-23 B1
tel/fax 053-454-7363
E-mail info@mescalin-drive.com


写真のチラシ(フライヤー)には、主催者との相談の上、意見を取り入れ、静岡県西部地方でやるの始めだし、このイベントに出るのも始めてなので、目に付くように自分の所属と内容説明をあえて載せました。
(その件についての冷やしはお断りします)

来年はあるかわからない

自分が今までどうやって、前進してきたか、今までの「進の部屋」を読みながら 振り返る。

特に3.4年前の勢いが懐かしい。


自分の事も見えてくる。
何がいいのかもわかる。
出来ないわけではない。


いつも立て直しながら、真っ直ぐ成長していた。

時代の変化もあるが、
またあの勢いを取り戻したい。


泣いても笑っても、
残り一ヶ月。


写真は週末に行く「清水駅」


高校時代は清水に良く行った。


草薙や清水も、実家からそんなに遠くない。


静岡鉄道の音羽町駅から草薙駅の各駅に思い出がある。


運動場前や県立美術館前の駅なんて特に懐かしい。

そういえば、仲良かったアイツは今何やってるんだろう。

連絡してみようかな?

かえがえの無い一週間

先週水曜日は同志である板橋会のメンツとスポーツジムにて、ちょつときつめの有酸素運動。 そして風呂に入り、 久しぶりに牛角で栄養補給。 (浅川さんいつもありがとう!)


木曜日は、
岡山IMAGEの3周年イベントでトリを勤める。
盟友、神闘歌のKAZNOSTIC´FRONTにエールを贈る。
(変わらない人柄と勢いを感じた。)


そして幼なじみの桜井と渋谷で会食兼ねてボーイズトーク。
(オレもハッスル!10代の時のままのノリが呼び戻された)


金曜日は、マイメン遠藤と千駄ヶ谷で合流し、増井さん(JAM HOME MADE&ready made)の10周年記念の展示会へ行き、 久しぶりにあの雰囲気を味わう。
またここ1番の時に肌に付けたいと思うアクセサリーだった。
(増井さんおめでとうございます!)

その後新宿ACBに 移動し、遠藤がプロデュースした大阪の THE´BRYANのライブを見る。


メンバーと共演者のバンドと新宿のホルモン焼き屋での、打ち上げに参加。
(ある話題で盛り上がる。)

もう何回も音源聞いたりライブ見ているが、THE´BRYANの良さを再確認した。

次の日、群馬県の高崎市へライブに行くメンバーに池袋まで送ってもらった。
(ブライアンありがとう!)


土曜日は信頼する姉貴のひらたよーこさんと西荻窪にて、 作曲家である矢野誠さんのピアノソロリサイタルを鑑賞。


先生と呼びたい矢野さんは、63歳にてソロで新境地に挑み続けていて毎回背筋が伸びる。
最後は女性シンガーのFOOUさんと合体し、いい音楽の贈り物を貰う。


帰り際、矢野さんが
いろいろ話しかけてくれて恐縮した。

それから、よーこさんと久しぶりに楽しい話しも出来、来月12日のあなんじゅぱすの吉祥寺でのコンサートの協力を誓い帰宅。


明けて日曜日は、遠藤貴志の砦、静岡県東部へ。


静岡県のJR沼津駅前にあるWAVEにて、ビートクルセイダーズを迎えて地元の雄GOOFY’S HOLIDAYの限定復帰ライブに参戦。

彼らの、来てくれた人をとことん楽しませる姿勢と遊び心を意気に感じ、改めて沼津発信の意義の大事さを確認した。


毎回沼津WAVEで合う人達や、ススムタニモトの活動を応援してくれる人達とも会え、一時の安らぎも感じながら、来月に迫った浜松公演
の事が頭をよぎり、
もっと沼津に滞在したかったが無理出来ない身体の為、帰り際今までのいろんな想いが駆け巡るが、終電で関東へ。


(貴志!それから今日会った人達みんなありがとう!!)

まだまだ書きたかった出来事があるが、
気持ちを切り返る為、時間的に諦める。

この一週間でやっと気持ちはすっきりしたが、いまだ体調不十分な為、コンディションを整えるために今週から摂生します。

今週末も28日に静岡県は静岡市清水区(旧清水市)へ行きます。
(前哨戦になりそうです。)


そして静岡県の西へ行き、浜松市の会場(メスカリンドライブ)へ下見と打ち合わせを兼ねて、行こうと思っています。


この一戦の重みは、
計り知れないモノがある。


残り一ヶ月をこれに費やしたい。


全てを捨てても、この一戦に賭けたい。


今までで1番最高の状態まで持って行く事が最重要で、ステージに上がって見せる事だけに、これから自分の全神経をそっちに集中させればいい。
(稽古を出来るだけやりたい)


「SUSUMU TANIMOTO soloperformance。

(谷本進一人芝居)


をやります。

中学の時の後輩を一人、もし何かあった場合の時の為に、念のためだが用心棒(スタッフ)として付いていてもらおうかとは考えているだけで、あとは余計な事は考えないようにする。


用心棒も必要無くなる状態が1番いい。


俺が年末に出るイベントの「SMASHER´ATTACK」は、駆け引きや人間関係のコミュニケーションや様々な計算的な生き方や、お金の話しもいらないし、パブリシティなどの宣伝活動や集客も考えず、他人を誰も巻き込まず、他人を誰も取り込まず、過ぎた過去を顧みずやりたい。

私闘ゆえに、最初から最後まで一人でやり切りたい。

だから、しがらみから外れ、うわ辺の付き合いから外れ、興味ないモノを外し、本当の信念を貫きたい。


あるのは、己の意志と情熱と夢と欲望と忠義と郷土愛のみ。


と、誘ってくれた人との絆。


これより15歳で静岡市内から出発し、まず静岡県内で認めてもらおうとライブ活動していた自分に立ち返り、初心に帰ります。

群れから離れ、一羽の鳥が再出発です。

どうしてもやりたい、地元での復帰戦です。

また、書きたい時にもっと今の気持ちを詳しく書きます。

あと、祖父の雅号の呼び名は岳峰(がくほう)でした。




2009年11月28日

帰郷と希望の轍(わだち)

寝て起きたら、午前中から浜松へ向かいます。


会場の下見と浜松メスカリンドライブの店長のシンヤ君と、 当日の打ち合わせ。


10組出るんで当日は
ほとんどリハーサル出来ないとの事で、初めてそこでやるんで電話だけだと疎通があまりにも取れないので、明日いろいろ確認したりスタッフと疎通を計ります。


そして、夜は清水に移動して先輩の滝沢さんのやってH.Kの20周年イベントを見に行きます。
じっくり堪能してきます。
(写真のイベント)

なんとその日は15.6年ぶりにHELL DRIVERが復活します。
(すぐ上の先輩でした)


地元でバンドしていた時に、2つとも一度だけ一緒にやらしてもらった思い出の人達で、あれから先輩があの時のようにステージに立つ姿は感慨深い。


お世話になった先輩の太田さん(EX.ラスラー)の8000も出るし、あの時静岡でトップにいた大先輩のイノセンツも出る。


静岡ハードコアの先輩のラスラーやイノセンツやメンタルは、昔の音源が20年近くぶりに再発売されて今や大手インディーズレコード店で全国流通しているみたいで嬉しい、前に出たデッドレスマスもかなり売れているみたい。

もうシーンから忘れ 去られた存在に近かったのに、再発されて今なお脚光を浴びているのは、圧倒的な個性とオリジナリティの成せる業だと思う。

明日はもう一つ、カマラーダっていうのも出るけど、これが同級生で彼らは高校の時から別の名前だったけどハードコアバンドやっていて、一時期しばらくやっていなかったけどまた活動し始めたみたいで、それを見れるのも刺激になる。


今年の春先に極真空手時代に世話になった長澤先輩(43歳)の50人組み手を見て感動したが、明日のメインのH.Kやイノセンツの先輩方も43歳の年だ。
(いろいろ教わる事も多いだろう)


かつての先輩や同年代が、地元で続けて いっているのは、東京で音楽や芝居や演劇をやっている人達とは比べられない程に苛酷だ。


静岡県は広いから静岡.清水の中部だと県外になかなか出れないし、行けても隣の神奈川や愛知で、静岡の内輪の交流も限られている。
ましてや行政の助けなんか無い。


一度地元から出た俺が、来月静岡でかつての先輩や同期と同じ土俵でやるのは漫画「あしたのジョー」の力石徹VS矢吹丈の戦いとだふってしまう。
それか「巨人の星」
みたいだ。

力石は、環境の良いジムで不自由なくやっていたが、ハングリーな環境から出てきた矢吹と試合やる時、矢吹と対等で同じ精神でやるため、階級を下げて体重を同じにして、無理な減量したりかなり追いつめた練習をした。


そうしないと勝てないという結論だったと思う。

今回は、地元に残った人達と出ていった俺とで、前から因縁があるから比較しやすい。


過去に同じ地区でやっていた人達と17.8年ぶりに向き合う。


過去でもあり現在進行形でもある交流は、禁断の味わいだ。

来月一緒に浜松でやる主催者のZONE(磐田市)のボーカルのシバタは俺の方が歳は一つ上だが(他のメンバーは3つ上)、シバタがZONEの二代目のボーカルになったのが俺が上京する数ヶ月前で、いわば
同期。

当日俺の前に出演するSO WHATは、前にも書いたけど、 俺がSOーWHATの付き人をやめて、当時いた環境から先輩には誰にも告げずに出て一人上京し演劇やネバールーズをやった事になるから、混じる時の緊張感は凄いモノがある。

もちろん他の先輩や同世代の人にとっても特別な感情はお互いあるだろう。

先輩達も地元を愛する気持ちがあればこそで、みんなも静岡の地元からの発信にこだわってやってきていただろうし。


俺にも郷土愛はあるし離れてはいるが、静岡出身という事は片時も忘れていない。


(まして今も住所は静岡市だ。)

明日浜松で打ち合わせする店長も海外にも行くSHADY´GLIMPSっていうスラッシュメタルのバンドやっていて当日共演するが、これは男の世界の常識で、初めて来るよそ者になめられたら終わりだから、向こうも気合い入っているだろう。

当日俺の後に出演する 京都代表のWAR HEADなんか、聞いた話しだけど、以前イベントで共演したバンドが京都出身で楽屋に挨拶に行ったら、一人づつ 横に並ばさせられて、ずっと顔をくっつきそうなぐらいぴったりくっつけて「それでも京都を背負っているつもりか!!ふざけるな!!」って厳しく言われて説教されて、かなりビビったって話しを聞いた。
(もちろん愛もあるけど)

(去年に京都でやった時は、また雰囲気が違った相手と場所だったから
その心配は無かった。)


だからあのシーンにずっといる人達は、気合いや本気な気持ちが半端ない。

大阪に初めて行った時も地元のみんなの歓迎は、そんな感じで自分にも当たりが強かった。


例え、時代や社会が目まぐるしく変わろうとも、それに翻弄されないで生きてきている人達はいるわけで、
自分もまだ変わらずにいるがまだまだ足りない。


そんな中学生のヤンキーのノリみたいな感じがかえって、争いを好まない平和で文科系の現代の風潮より数段高く気構えを持たないと、簡単に自分も潰されてしまうと我に返らされる。


もちろん東京や関東でやっていく厳しさも理解している。


確かに、地元でやっている沼津の遠藤や岡山のカズや大阪のシュウマイなんかも、常日頃から他と一戦を引いた厳しさで高い志を持ち立ちつづけている。


広島や仙台や島根でも、感じた。


名古屋は三回劇場でやらせてもらったけど、まだ演劇つながりだけでお客様扱いだからまた違う。


とにかく、一度土俵に立ったら、殺らなきゃ殺られる。
その気持ちを忘れてはいけない。


これが、周りはほとんど知らない人だらけの場所に一人で他流試合に挑むものの鉄則。

まだ俺の脱藩の罪は本当の意味で、許されていない。

明日は気を引き締め
るしかない。

誰かの紹介やツテで快く受け入れてもらえていた場所じゃなく、静岡ではマイナスからの出発。


巡って来た運命には逆らえ無い。


今までは、

青森(弘前)、

宮城(仙台市青葉区)、

千葉(柏)、


東京(池袋、中野、下北沢、駒場東大前、王子、江古田、西荻窪、青山、南青山、神楽坂、渋谷、新宿)


神奈川(横浜)、


静岡(沼津、静岡)


愛知(名古屋市千種区、中区)


京都(京都市上京区)


大阪(大阪市中央区浪速、通称ミナミ)


岡山(岡山、倉敷)

島根(隠岐の島)


番外編で、フランス(パリ、エクスアンプロバンス)でやり。

他に上京して最初の年は、児童劇で北海道から鹿児島までの各県で公演しながら巡業した。

そして次は、いよいよ静岡県の浜松市。


何もしないでいるより、自分らしく定められ導かれた道を行く。

もはや熱くならずにはいられない。


ムララいつも応援ありがとう!


年末は、静岡で会おう!


忠にいちゃん、新年はおばあちゃん共々、一日二日のどっちか富士山のふもと、富士宮で会いましょう。

2009年11月29日

浜松、清水、静岡にて

感無量です。


まだまだ、生きていたい。

生きてやる。

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