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祖父一周忌と訃報(ツルさんありがとうございます)

私の祖父、谷本淑二(享年96歳)

が逝去して今日で11月16日で、一周忌になりました。

一年前祖父の訃報を(岡山市にいて)吉備線の車内で母からの連絡で聞きました。
(その晩、カズとマユちゃんがそばにいてくれて一緒に酒を飲んでくれました。
その後ブルーノ作品の「夜ばかり満ている」の稽古にも顔を出しました。)


自分の携帯電話の待受画面は今でも祖父です。


親戚のおじさん曰く「清廉潔白」の人でした。

(孫である自分にはその遺伝子があります)


自分は近すぎてわからなかったが、厳格
な人でした。


島田市(町)の役所勤めをしていました。

教育者でもありました。

自分が大学へ行かず役者になると告げた時、ものすごく怒られたのは進学すると期待させた祖父に嘘をついた事だったと思う。


(勘当するくらい言われたが、孫の将来を憂う愛のある叱責でした)


祖父は何とか号を与えられる程の凄い書道家だったみたいです。


しかし後年は自分の書いた書道の作品を人に見せなかったみたいです。


おじさん曰く、新築した家の表札を祖父に書いてもらおうと考えたけど、文字が
凄すぎて表札の字向きでは無いので、他の人に頼んだみたいです。


自分が生まれる前に亡くなった祖母谷本善(享年56歳)は歌が上手くて有名だったみたいです。


祖父は凛とした雰囲気を漂わせた明治生まれの、気骨のある人でした。


従兄弟の谷本良太いわく、子供の頃からやっていたテニスで高校の時、静岡県大会で優勝した時に祖父は泣いて喜んでいたそうです。


(そういえば先日親戚のサキちゃんが結婚したんだよな、おじいちゃんサキちゃんを可愛がっていたから喜んでいるだろうな)


祖父は生まれる育った静岡県の島田市の大井川沿いの山奥(大川)から、藤枝市まで買い物に行くのに山二つ越えて行ったそうです。


徴兵されて戦争の為に中国へいったけど(静岡で34普通科連隊に所属)、帰ってから一度も戦争の話しはしなかったそうです。


終戦記念日を俺は認めないと言っていたそうです。
(何を認めないかはわからないですが…)

私が、以前正月に祖父の所へ新年の挨拶に行った時、記念に一緒に写真 を撮ろうってなった時「おぉ!俳優と一緒にか!」って言ってくれて
嬉しかったのを覚えています。


口数の少ない祖父の
言葉は忘れられないです。


一周忌法要へは、都合により行けなかったけど、祖父から学んだ事や受け継いだモノはしっかり後世に伝えていきます。
と今日心に誓いました。

先週11月9日に静岡県富士市 にある(ライブハウスアニマルハウス)のオーナーであるツルさんがお亡くなりになった。


改めてご冥福をお祈りいたします。


ツルさんは、アニマルハウスの前のユニセックスの頃から20年以上に渡りブッキングや店を切り盛りしていた人で、先人であり静岡県の音楽シーンに多大な貢献をした人です。


弱い者の味方でした。


高校一年になったばかりの時、中学の同級生の中西と村田から富士のライブハウスに行って隠れて録音してきたバンドなんだけど聞いてみるか?


って、まだデビューしたばかりのジュンスカイウォーカーズを教えてもらったのを覚えている。


コンサートじゃなくて、生のライブってこういうのなんだって思った。

(当時はテープレコーダーだった)


今とは何百分の1にもならないぐらい、伝わる情報が限られていた時代でした。


だから、同級生や自分自身でも自分の耳と目と足で面白いモノを捜してきていた。


それからバンドをやるわけだが、ツルさんがジュンスカを富士市に呼ばなければ
、もっと違った人生だったかもしれない。

それからいろんな曲面でアニマルハウスには、何度も行った。


6年前に、新年会的な打ち上げに出た夜の事を今でもよく覚えている。
引きこもりだった時だから、余計にあの雰囲気に癒されたり、勇気をいただいた。(凄く楽しい夜だった)


客より盛り上がってアンコールをしていた姿を思い出す。


それから地元の先輩の秋山さんが、まだNEVERLOSEを旗揚げしたばかりの俺をツルさんの所に連れていき、「こいつ演劇やってて劇団もってるんですよ」って紹介してくれて、ツルさんも「俺も前に演劇やってたんだよ」

って話してくれたのを覚えている。


まだ10年前だったから、まさか今月一杯で閉店するなんて思わず、今の俺も想像出来なかったから、間に合わなかったけど、


いつかあの濃い環境で俺もやってみたかった。

先日中野で公演した時に沼津から遠藤貴志が来てくれて、ツルさんの話しをしてくれて、この道の地元の先輩であり恩を受けた人に対してヤツがどういう想いで いるのかわかり、俺も 胸に迫るモノがあった。


都会ではない沼津市の港町から全国区になった苦労人の彼らだから、バンド始めた頃は静岡県の東部の音楽シーンを盛り上げようとしていたツルさんに凄くお世話になったんだと思う。

俺達の時代ぐらいまでは情報も無く、見えている世界が中学の学区から市内の街しかなく 、街で有名になるとか名が売れるしか範囲がなく、中学、高校の時もヒーローや憧れるのは地元の先輩で、目指すのは先輩と肩を並べれるかどうかだった。

自分の話しになるが、年末26日に静岡県の浜松市内でソロをやるが、一緒にやるメンツもツルさんにお世話になった人達ばかりで、いわば追悼も兼ねてやりたいと思う。


(ツルさんのやっていたアニマルハウスは人生の生き場を失った人達の学校や居場所だった。)


でも必ず意志を受け継いだ人達が、また
静岡を盛り返して行くと思う。

何度もいうが、今度浜松でやる先輩達は ヒーローで、一緒にやれるなんて夢であった人達だ。


(アウトローのエリートである静岡ハードコアの中でも、俺は名もぎりぎりあるか無いかの1番の下っぱだったし)


今、世界的なバンドになったenvyの前身バンドであり、その下地を作ったBLIND JUSTICEのリーダー的な存在でドラムを叩いていた沼津市出身のノブがenvyになる前に脱退して、雷矢というスキンズねバンドに入り新宿ロフトで、今度 俺がやるSO WHATと一緒にやった時、バンドやってて良かったって凄く喜んでいたのを覚えている。


今回俺も想像したら興奮して寝れないぐらいだ。


NEVER LOSEでFAKEっていう、ターニングポイントになった作品をやった時、地元の先輩 で憧れの人であるZONEのサワさんが偶然予定が合い見に来てくれて、その時当時鉄アレイのベースだったカツタさんを連れて来てくれて、それから打ち上げに出てくれて、自分の劇団員やお客さんがいる人前だったから、普通に話していたが、あとで一人になり池袋駅に着いたあたりで足腰の力が抜けてしゃがみ込んでしまうぐらい、正直ビビッてしまった。
(横浜、横須賀から浜松に来るPILL´DRIVERなんて雲の上にいる人達でした。
実物を真近で見れるのは幸運なくらい伝説の人達で、自分は本番前にパイルドライバーの曲を聞いて弱い自分に打ち勝ってきました。
同じステージで競い合えるのは身が引き締まる想いです。)


[キャプテン]って漫画の世界みたいだと思った。


「逆に恩返しで、俺がみんなに勇気を与えたいと思っているけど。」

この関係の話しはまた書くとして、今年は親戚の忠にいちゃんがコメント欄で指摘してくれた通り、西武池袋線東長崎駅近くにあった「喫茶グリーン」のマスターが亡くなり(チーズハンバーグ大盛りにやっこです!)が味わえなくなり、川村カオリさん、ツルさんが先週亡くなり、地域やその世界では弱い者の味方で個性的な人間味のあるパイオニアの功績を思うと、俺も人生で何かもう一つ背負って生きて行こうと思う。

そういえば、敬愛する中島みゆきさん、紫綬褒章受賞おめでとうございます。


現実から逃げたい時、不安な時、疲れた時には今でも自分は中島みゆきさんを聴いて寝ています。


自分は心が折れやすくどうしようも無く弱い人間ですが、それでもステージに立てば何でもいいから誰かの役に立てればいいよな、と思いながら、心を折らす手前で踏み止まり、意志を持って道を切り開こうとしています。

そして未来の為に、あきらめず、戦う気持ちを失わず、折れない心を鍛えて、誰もやらない事に挑戦していきます。


最後に、48歳という若さで亡くなってしまった同郷の偉大な先人である、富士ANIMALHOUSEのツルさんの功績に哀悼の意と敬意を表します。


そしておじいちゃん(写真の人)、天国からいつも見守ってくれてありがとう!!


(今日は一周忌、お寺の人達が通夜の時よりもっとしっかりやってくれる事が出来たらいいな)


2009年11月16日。

ススムタニモト


(三枚目の写真は、今年3月岡山CLUBNO.9にて厳状打破のステージ立つ俺。撮影は西日本から全国区へ羽ばたくこれからの活躍が楽しみなアーティストであるmabito君より)




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2009年11月17日 03:50に投稿されたエントリーのページです。

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